ESSAY

2024-08-15 18:08:00

終わった日

終戦の日

戦争が終わった日。

もしかすると、日本の終わりの始まりの日でもあったのだろうか、と最近はそう思う。

自分が知らなかった、気付いていなかっただけで、敗戦国の始まりの日だったのだなと思う。

いや、そんな終わりは終わってほしいものだ。

 

それにしても、

戦争を知らない世代が戦争の影響を受けていないと、本当に言えるのだろうか、とふと思う。

戦時中に幼い子供で、勉強できなかった世代の子や孫と

戦時中にある程度大人になっていた世代の子や孫と

引き継いできたもの、引き継げなかったものが違うのではないか、と

祖父母や親が違う世代と接するたびに感じる。

もしかしたら、こんなところにも戦争の影響が残るのかもしれない。

 

終戦あるいは敗戦の日

戦争を善悪や正義で考えていた頃もあった。

『日本は侵略した悪者』

言葉にすると、実に幼稚で滑稽で、単純化することで事実を見ていなかったのだと思う。

何がどういう状況で

誰が何を知り・考え・判断し実行したのか、あるいは忖度や追認、継続したのか、

日本国内と海外の各々の国の事情や狙い、戦略は何だったのか、

善悪や正義ではなく、事実を淡々と見ていけば、

同じ轍を踏むこともないのではないか、と思う。

 

コロナ・パニックの期間に体験した、

善意や正義、思想や価値観、自分は正しい側にいるという頑なさが如何に脆く危ういのか。

どんな命も大事だったはず、どんな人も尊重され、権利も自由も守られるはずだったのに…

結果的に、希望していた道とは違う方向へ進んでしまっているのに修正できないまま突き進んでいる。

ずっと同じように翻弄され、踊らされ、煽られて、ぞんざいに扱われている気がする。

 

 

所詮、戦争なんてものは、

一庶民の自分にとっては

夢も命も、仕事や生活も、家や暮らしも、家族や大事な人も

心も価値観も、人生も奪っていく『搾取』でしかない。

戦争を支持する人の目的は何なのだろう?

営利?支配?策略?高揚した正義?義務感?漫然とした継続?あるいは不安や恐怖?

ただ、支持した先に自分が『搾取』される未来はないと考えている人なのだろうな、とは思う。

 

『戦争』という手段の終わりの日になる

終戦の日であれば良い。